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2007年11月18日

九州地方の駅舎を訪ねる=駅名板(吉都線・他)=

最後に吉都線他。


吉都線・えびの駅 [宮崎県えびの市]



日豊本線・都城(みやこのじょう)駅 [宮崎県都城市]



日豊本線・国分(こくぶ)駅 [鹿児島県霧島市]



鹿児島本線・鹿児島中央(かごしまちゅうおう)駅 [鹿児島県鹿児島市]


大隅横川、嘉例川とともに、鹿児島県内で最も古い木造駅舎であるえびの駅。
開業当時の駅名、加久藤駅からえびの駅に改称されたのは1991年。それゆえなのか、JR九州の赤いロゴマークとともに、駅名板も現代的。

吉松駅から吉都線でえびの駅を通って終点の都城駅。
宮崎県第二の人口を誇る都市らしく、そこそこ立派な鉄筋のビルの上の駅名板はごくありきたり。
駅名板の下では九州新幹線のPRも忘れない。

市町村合併により、宮崎県霧島市の代表駅となった国分駅。コンクリートの屋根の上にはここもありきたりな駅名板。

日豊本線の終点は鹿児島駅。新幹線のターミナル駅となってますます発展する鹿児島中央駅は鹿児島本線の駅だが、うっかり忘れてしまったので、ここで。

全部で24個の駅名板。これが4泊7日の九州旅行で実際に下車したすべての駅。
実質5日間の旅で24駅は多いのか少ないのか・・・。

いずれにしてもどの駅も心に残るすばらしい駅であることに違いはない。  

2007年11月11日

九州地方の駅舎を訪ねる=駅名板(肥薩線・その2)=

肥薩線の続きを。


大畑(おこば)駅 [熊本県人吉市]



矢岳(やたけ)駅 [熊本県人吉市]



真幸(まさき)駅 [宮崎県えびの市]



吉松(よしまつ)駅 [鹿児島県姶良郡湧水町]



大隅横川(おおすみよこがわ)駅 [鹿児島県霧島市]



嘉例川(かれいがわ)駅 [鹿児島県霧島市]


肥薩線の後半、「山線」と呼ばれているところだ。

大畑、矢岳、真幸の3駅は、肥薩線の中でももっとも険しく、線路の敷設工事に難航を極めたところ。
山間のひっそりとした駅には木造駅舎が残り、それらにはやはり黒地に白のこの駅名板が似合う。

最難関を越え、一息つく吉松駅はコンクリート造り。たいらな屋根の上にはゴシック体のどっしりとした駅名板。

開業から100年以上、鹿児島県で最古の木造駅舎である大隅横川駅と嘉例川駅。
どちらも画一的ではなく、それぞれの駅の味を出している。  

2007年11月10日

九州地方の駅舎を訪ねる=駅名板(肥薩線・その1)=

続いて、肥薩線の駅名板を。


坂本(さかもと)駅 [熊本県八代市]



白石(しろいし)駅 [熊本県葦北郡芦北町]



一勝地(いっしょうち)駅 [熊本県球磨郡球磨村]



渡(わたり)駅 [熊本県球磨郡球磨村]



人吉(ひとよし)駅 [熊本県人吉市]


肥薩線の球磨川沿いを走る、通称「川線」の駅たち。

白石駅など、古い木造駅舎には黒地に白い文字を浮かび上がらせたこの形が似合う。
一勝地駅にもそのタイプがあるが、壁に直に書かれたこちらの駅名の方が目立つ。
坂本駅は商工会と同居だが、駅舎としての機能は残っている。合築のために建物に手を入れたためか、駅名板は、九州の木造駅舎のそれとは異なっている。
渡駅は駅舎のほとんどを地元の商工会に譲った形で、待合室の入口の壁にシールを貼り付けた感じの駅名板があるが、その質素さを見かねてJRの関係者が後から取り付けたのか(あくまでも私の想像だが)?
コンクリート造りの人吉駅は、よくあるこんな形だ。堂々とした楷書体の文字にこだわりが見える。  

2007年11月04日

九州地方の駅舎を訪ねる=駅名板(鹿児島本線)=

本館の旅行記も出来上がったし、停車場の詩も少しずつまとまりつつあるので、ちょっと目先を変えてみようと思う。
足取りを時系列で追うのではなく、この夏出会った駅舎たちの部分部分にスポットを当ててみる。

まずは駅舎たちの顔、駅舎正面に掲げられた駅名板を。


鳥栖(とす)駅 [佐賀県鳥栖市]



銀水(ぎんすい)駅 [福岡県大牟田市]



荒尾(あらお)駅 [熊本県荒尾市]



大野下(おおのしも)駅 [熊本県玉名市]



肥後伊倉(ひごいくら)駅 [熊本県玉名市]



熊本(くまもと)駅 [熊本県熊本市]



宇土(うと)駅 [熊本県宇土市]



松橋(まつばせ)駅 [熊本県宇城市]



八代(やつしろ)駅 [熊本県八代市]


駅舎正面にある駅名が書かれた板。
本当のところ、正式名称は知らない。
ホームに立っている駅名が書かれた看板を駅名標というが、なんとなく駅舎正面のこの板はそれとは区別したい気がして、勝手に「駅名板」とよんでいる。

たかが駅名が書かれただけのこの看板、実は地域によって、路線によって、特徴があっておもしろい。
大野下駅や肥後伊倉駅で使われている、黒地に白い文字を浮かび上がらせた形、九州の駅ではよく目にした。  

2007年10月08日

九州地方の駅舎を訪ねる《総集編》=2007・夏旅の記録完成=

早いものでもう10月も半ば。感動の夏旅からあっというまに2ヶ月が過ぎてしまいました。
メインのサイトの整備をしながらこちらのブログもちょくちょくUPしていこうと思っていたのですが・・・。
もたもたしているうちにメインのサイトの旅行記ができあがってしまいました。

ブログにUPしたのはこの夏出会った魅力的な駅舎たちのうちのたったの二駅、鳥栖駅と銀水駅。
ステキな駅舎はこれから先、まだまだ続きます。
続きは少しずつブログにも記録を残していこうとは思いますが、とりあえず出来上がった旅行記をご紹介します。

『2007・夏・美しき駅舎たちへ』 4泊7日の夏旅の記録です。よかったら見に来てください。
(下のバナーをクリックすれば飛びますよ)

停車場の詩

感想やご意見などいただければ幸いです。  

2007年09月24日

九州地方の駅舎を訪ねる《鹿児島本線編》=銀水(ぎんすい)駅=



鳥栖駅から列車に乗って約50分、銀水(ぎんすい)駅に到着した。

福岡県大牟田市に位置する銀水駅は、1926(大正15)年に開業している。
ちょっとおしゃれな名前のこの駅にも、古い木造駅舎が残る。

駅舎を正面から眺めてみる。
縦羽目板張りの腰壁と、下見板張りの壁は、ところどころ色が変わっていて、張替えをしながら大切に使用されている様子がわかる。



三角屋根を持つファサードを見てみよう。
屋根の下の縦羽目板張りの壁に掲げられた、白い駅名板がシンプルで、逆にいい感じだ。



ホームに立つ駅名標は、昔ながらの鳥居型だ(木製ではないけれど)。
銀水駅のトレードマークは、椿だろうか。

2005年10月のダイヤ改正以前は、八代・熊本方面から来た各駅停車の殆どはここ、銀水駅で折り返していたということもあり、ホームはなかなか立派で、対向式の2面3線を持つ。

(2007年8月6日・銀水駅にて撮影)  

2007年09月08日

九州地方の駅舎を訪ねる《鹿児島本線編》=鳥栖(とす)駅=



佐賀県鳥栖市に位置する鳥栖駅は、鳥栖市の代表駅で、1889(明治22)年に開業している。
鹿児島本線と長崎本線の分岐駅にあたるこの駅では、かつて、はやぶさ号が廃止されてしまったさくら号と併結されていた頃、その切り離し作業が行われたのだ。

駅の近くには、鳥栖操車場や鳥栖機関区などもあり、鉄道の街として栄えていた。
今はなき機関区の跡地は、鳥栖スタジアムとなり、サッカーファンを楽しませている。

駅舎は1911(明治44)年に改築された二代目だそうだが、その時代の面影をよく残している。



駅舎正面からファサードを見上げてみる。
三角屋根の中央には時計台があり、その下には美しい意匠がある。
壁のペンキは若干剥げ落ち、屋根の境の金属の部分は錆がでているが、美しさは留めている。
屋根の上のJR九州のコーポレートカラーの赤で書かれた駅名板は、ファサードの明治っぽさとは逆に、近代的な雰囲気を持つ。



しばし駅舎の周りを歩いたあと、ホームに戻る。
ホームは島式3面6線を持つ立派なもので、特急列車も頻繁に発着している。
左側の側線に留置されているのは長崎本線、久大本線などを走るキハ125系の気動車で、右側の中線に停車しているのは、九州地方では代表的な813系の電車だ。
そして、その間にあるホームの上屋は、剥げかけた白い縦羽目板張りと特徴のあるラインが美しい。



ホームに掲げられた駅名標は、九州地方ではよく見られる形で、中央のイラストは駅の特徴を現している。ここ、鳥栖駅のトレードマークには鳥栖スタジアムが描かれている。

東京から16時間半の列車旅にひとまず終止符を打ち、改札を抜けて外の空気を吸う。
初めて踏んだ九州の大地で私を迎えてくれたのは、九州の厳しい暑さと蝉の鳴き声。
関東地方のジージーと暑苦しい蝉の鳴き声と違って、九州の蝉はしゃわしゃわと鳴く。
蝉のしゃわしゃわにさわやかさを感じ、すばらしい旅への序奏を感じたのだった。

(2007年8月6日・鳥栖駅にて撮影)  

2007年08月26日

九州地方の駅舎を訪ねる《はやぶさ号にて》=鳥栖駅到着=



はやぶさ号は下関駅で関門トンネル用の機関車に付け替え、トンネルを通って九州に着くと、門司駅で大分へ行く富士号との切り離しを行う。
切り離したあとのはやぶさ号は、「はやぶさ」単独のヘッドマークをつけた赤い機関車に牽引される。

ここまで来たら終点の熊本まであと3時間。

当初、終点まで行くはずだった。
しかし、熊本駅の手前にも魅力的な駅があることに気付き、鳥栖駅で途中下車することに決めた。

時刻は10時36分。終点の熊本駅まで1時間ちょっとを残し、ここ、鳥栖駅で途中下車する。
東京駅を出発したのは前日の18時3分。実に16時間半の長旅だった。

引退のうわさもちらほら出ているはやぶさ号、予想に反して満席だった。
B寝台個室は個室だけに静かだったが、開放寝台は結構な賑わいだった。

東京駅でも下関駅でもゆっくり見ることのできなかったヘッドマークをゆっくりと眺め、客車のテールランプを見送り、ちょっぴり寂しくもなり・・・いやいや旅はこれから、と鳥栖駅を出た。

(2007年8月6日・鳥栖駅にて撮影)  

2007年08月19日

九州地方の駅舎を訪ねる《はやぶさ号にて》=機関車付け替え=



はやぶさ号は定刻どおりに走り、8時32分、本州の端っこ、下関駅に到着した。
ここ、下関駅では、機関車の付け替えを行うため、6分間の停車時間がある。

列車が駅に到着する直前、ちょっと見てこようかな、とのんびり腰を上げる。
3両目の扉からホームに降り、先頭付近についたとき、東京から富士/はやぶさ号を牽引してきた機関車は、その役目を終え、留置線に引き上げるところだった。

東京駅で収めることのできなかったヘッドマークは、ここでもあっという間に目の前を走り抜けて行った。



付け替え用の機関車がやってくるまで、客車のヘッドマークを。



やがて、関門トンネル用の機関車がやってきて客車と連結、準備は整った。
下関駅から関門トンネルを経て、はやぶさ号と富士号とに切り離す門司駅まで、13両の客車を牽引する。

(2007年8月6日・下関駅にて撮影)  

2007年08月19日

九州地方の駅舎を訪ねる《はやぶさ号にて》=瀬戸内海=



はやぶさ号は翌日1時8分の京都駅を最後に客扱いを停止し、早朝5時23分の広島駅から活動を開始する。

2年前の冬、岩国付近でみた朝日に輝く瀬戸内海の感動をもう一度、と窓から外を見るが、夏の夜明けは早く、空はもうすっかり明るくなっていた。
しかも、それまできれいに晴れていた空は、広島を出るとにわかに暗くなり、雨模様となった。

折りしも8月6日、原爆記念日だ。
62年前のその日、被爆したかたがたの涙雨のように思えてならなかった。

(2007年8月6日・寝台特急はやぶさ号の車窓より、岩国付近の瀬戸内海を撮影)