2006年07月15日
蔵の街・川越を訪ねて《番外編》=八高南線・金子駅=

気動車に乗って八高線を北上しようと思ったけれど、ホリデーパスも高麗川が終点だし、ということで、八高線を南下して八王子方面を目指すことにする。
何も考えずに高麗川から二つ目、金子(かねこ)駅で降りる。
大宮からほとんど立ちっぱなしの状態が続いていたので、ベンチでもいいから座りたいなぁと思いつつ、改札を出てみる。
駅舎を出るとそこは別に何もないけれど、広々としていて深い緑に覆われている。
なんだか懐かしい、なんだか落ち着く、そんな感じを抱きながら、駅舎周辺を歩いてみる。
春には桜、続いてつつじ、と季節ごとの美しさを見せる事から、映画などのロケ地としても使われている。

三角のてっぺんに小さな鬼瓦を乗せた車寄せに掲げられた駅名標。
覆いかぶさる周辺の深緑と、黒い瓦、茶色に塗られた梁、それらが絶妙なコントラストを見せる。

入口から切符売り場を見る。
改札口には簡易suicaがあり、対向式の高麗川方面行きのホームが見える。

さっきまでそこでおしゃべりをしていた女子高生もいつのまにかいなくなったので、反対側の待合室も撮ってみる。
丸太を利用したベンチと、白い壁、茶色のハーフテンバーがこれまた美しい。

改札を入って、反対側、高麗川方面行きのホームを眺める。
柵の後ろ側、こちらも緑が濃い。
柵、緑、駅名標、そしてブルーのプラスティック製のベンチ。
すべてのバランスがいい。

跨線橋を渡り、高麗川方面行き側のホームに出る。
反対側から見た駅舎も、黒い瓦屋根と茶色のハーフテンバーが美しい。
金子駅、最初から予備知識があったわけではない。
疲れてきたし、ここが今回の旅の最後の駅舎かなと思って降りてみた駅。
降りてみたら思いがけず美しい駅舎に出会ったという感じ。
綿密に計画を練って出かけたわけではない川越線の旅。
ふらっと出かけた旅の最後に、素敵なご褒美をもらったような、そんな気持ちで帰途についた。
(2006年6月10日・撮影)
2006年07月09日
蔵の街・川越を訪ねて《その15》=八高北線・キハ110系=

高麗川駅でしばらくすごしたあと、改札を入ってホームに出る。
ホームにはいくつかの列車が既に入線しているが、これから乗ろうと思う列車はまだ来ない。
広い留置線には八高線のキハ110系が次の入線を待って静かに休んでいる。
八高線は、東京都の八王子駅と群馬県の倉賀野(高崎)駅とを連絡することから命名されているが、実際にはこの高麗川駅で運転系統は分断されている。
1996年に高麗川以南が電化されたことによって、非電化の高麗川以北への直通運転ができなくなったからだ。
そのため、高麗川以南を八高南線、以北を八高北線と呼ぶ事がある。
八高北線を走る気動車が、このキハ110系列車だ。
老朽化した旧国鉄形気動車に替わって、JR東日本の一般型気動車として、多く活躍している。
ほんの少し時代に取り残されたせいで、キハががんばる味のある路線になっている。
(2006年6月10日・撮影)
2006年07月08日
蔵の街・川越を訪ねて《その14》=高麗川(こまがわ)駅=

川越線の終着駅、高麗川(こまがわ)駅だ。
駅舎はやはり古い木造で、こじんまりとしていてかわいらしい。
屋根の赤と、梁の赤がアクセントになっている。
駅前はバスのロータリーになっていて、整備されているが、休日ということもあってかさほどのにぎやかさはない。
ホームは2面、3線だが、留置線があるせいか、ホームからの景色は広々としている。
(2006年6月10日・撮影)
2006年07月08日
蔵の街・川越を訪ねて《その13》=終点到着=

武蔵高萩駅からまた列車に乗って、次の駅で降りる。
大宮から出る川越線は、とうとう終点の高麗川(こまがわ)駅に着いた。
今乗ってきた川越線と並んでいるのは、八高北線の気動車キハ110系だ。
屋根の上から煙を吐きながら、ごとごとと音をたてて全身で発車の準備中だ。
(2006年6月10日・撮影)
2006年07月02日
蔵の街・川越を訪ねて《その12》=武蔵高萩(むさしたかはぎ)駅=

笠幡駅からまたひとつ列車に乗って、お隣の武蔵高萩(むさしたかはぎ)駅で降りる。
現在の立派な橋上駅舎は、2005年2月に改築されている。
開業当時からの旧駅舎は、都会から離れたローカル線にもかかわらず、貴賓室を持つ立派な駅舎だった。
なぜなら、かつて近くに日本陸軍の航空士官学校があり、その卒業式に臨席するために昭和天皇が利用したからだ。
旧駅舎には、一般の人々の入口の他に、皇室専用の車寄せと玄関があり、貴賓室や地下防空壕などが備わっていた。
建替えに当っては、保存運動なども起こったが、その望みはかなわず、あっさりと取り壊されてしまったそうだ。
しかし、近代的な建物に替わっても、その由緒ある駅舎の面影を、かろうじて緑色の屋根瓦に残したという。
また、駅前広場も、そんな時代を懐かしむかのように、深い緑に包まれている。
こちらは、旧駅舎があった、「さくら口(南口)」だ。

橋上駅舎からトントンと階段を下りた先には、昔の名駅舎を模したトイレがある。

反対側、「あさひ口(北口)」も、表側とよく似ている。

あさひ口からしばらく高麗川方面に線路沿いを歩くと、朽ちかけた行き止まりの線路が見える。
かつてそこに降り立った昭和天皇のためのお召し列車が、天皇が戻るまでそこで待つための待避線の名残だ。

また階段をトントンと上り、ホームへ出る。
ホームの高麗川寄りから、駅舎を眺めてみる。
対向式のホームに架かる橋上駅は立派で緑色が美しい。
人影の少ない静かなローカル駅に、立派な駅舎が建つにはそれなりの理由があった。
(2006年6月10日・撮影)
2006年07月01日
蔵の街・川越を訪ねて《その11》=笠幡(かさはた)駅=

古き良き時代のたたずまいを残す的場駅を出て、またひとつ列車に乗り、お隣の笠幡(かさはた)駅で降りる。
駅自体はさほど大きくはなく、駅舎もこじんまりとした感じだ。
水色の壁と灰色の瓦屋根。一見した感じはまったく違って見えるけれど、よくよく見ると、お隣の的場駅と同じ形ではないかと思う。
車寄せの屋根を支える柱のコンクリートの土台の形や、壁の下の方に貼られたタイルの装飾など、同じようだ。
そして、更によく見てみると、柱の陰、禁煙マークの下に長方形に色の変わった部分が見える。
それはまさしく的場駅の駅舎の色だ。
想像するに、あの部分には灰皿が置かれていて、その状態のまま、出ているところだけ今の色に塗り替えたのかな、と。
灰皿を動かしたときの、関係者の方々の狼狽ぶりが見えるような・・・^^;
想像すると笑ってしまう(あくまでも私の勝手な想像)そんな駅舎だが、駅舎の歴史は古く、開業当時のものだと思われる。

改札を出てふと見上げると、待合室の梁の部分にこんな看板がかかっている。
やっぱりここも、大切に守られている駅舎なのだなと思う。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月25日
蔵の街・川越を訪ねて《その10》=的場(まとば)駅=

209系列車を見送った後、また高麗川行き列車に乗り、次の的場(まとば)駅で降りる。
駅名は、駅近辺に川越藩の弓矢の練習場(的場)があったことに由来している。
開業当時(1940(昭和15)年)からの駅舎だが、よく手入れされていて、こじんまりとした民家のような趣がある。
ホームは島式、1面2線で、交換可能な駅のため、ほとんどが交換待ちをする。
ホームから駅舎を見てみる。

駅舎は、こんなふうに島式ホームと高麗川方面行きの線路の向こう側にあるが、線路を越える跨線橋もない。

そのため、ホームには駅舎と結ぶためだけの踏切があり、人々はその都度線路を横切ることになる。
1時間に3本という、のんびり路線ならではの、昔ながらの風景かなと思う。

小さな駅なのに、ホームには待合室もある。
ベンチにはいたずら書きのような傷があったりもしているけれど、それでも手入れが行き届いているようで、清潔感がある。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月24日
蔵の街・川越を訪ねて《その9》=川越線・209系列車=

ホームで高麗川方面行きの次の列車を待っていると、反対側から川越行きの列車がやってきた。
こちらは京浜東北線などでおなじみの、209系列車だ。
正面から見ると、樹脂製(?)の白い枠が意外とかわいい。
2006年06月24日
蔵の街・川越を訪ねて《その8》=西川越(にしかわごえ)駅=

川越駅の次、西川越駅で降りる。
ホームの上でしばらく列車の写真などを撮った後、改札を出る。
駅舎は新しく、駅前もきれいに整備されているが、休日のせいか、閑散としている。

ホーム、高麗川よりから、川越方面を見る。
右側に見える駅舎、ホームの屋根、どこも新しい。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月24日
蔵の街・川越を訪ねて《その7》=川越線・205系列車=

川越駅からまた川越線に乗る。
もともと大宮−高麗川を川越線というが、実際には川越駅で運用は分断されており、川越駅で乗り換えが必要となる。
地元では、大宮−川越を川越線、川越−高麗川を高麗川線と言っており、両者では車両も明らかに違う。
少し前までうぐいす色の103系の宝庫だったが、引退し、今はこの車両ががんばっている。
川越線、205系3000番台。川越以西を走る埼京・川越線の205系とも異なっている。
シルバーの車体には、気動車時代のオレンジと103系時代のうぐいす色のラインを持つ。
(2006年6月10日・西川越駅にて撮影)