2006年06月18日
蔵の街・川越を訪ねて《その6》=川越(かわごえ)駅=
南古谷からまたひとつ列車に乗って、次の川越駅で降りる。
振り向くとまた同じ駅舎・・・ということはさすがになく、こちらは立派な駅ビルだ。
それもそのはず、今となっては大宮駅に継ぐ埼玉第二の繁華街だ。
駅舎は橋上駅舎で、東武東上線と共用駅舎だ。
JRから東武東上線への連絡通路はなく、一度改札を出る必要がある。
コンコースでは、路線バスのフリー切符などが売られていて、観光地の顔を見せる。
小江戸川越、かなり興味あったけれど、駆け足旅行につき、観光はまた今度に。
かわりに、JRの改札傍、観光案内所に置かれていたパンフレットをひとつ・・・。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月18日
蔵の街・川越を訪ねて《その5》=南古谷(みなみふるや)駅=
不思議な気分になりながら、指扇駅からまた列車に乗り、次の駅、南古谷駅で降りる。
出札し、駅舎を出て、振返ると・・・ありゃりゃ・・・
またもひとつ前と同じ駅舎。
こちらはロータリーになっていたり花壇になっていたり、駅の造りまでも、ひとつ前の指扇駅と同じだ。
日進駅、指扇駅、南古谷駅、この三駅は姉妹関係にあるのだろうか。
指扇駅と同じアングルで、駅名標を撮ってみる。
穴のあきかたや飾り、駅名標の位置など、微妙に違うが、基本は同じ形だ。
川越までの間の三駅、白壁に黒い瓦屋根。
どっしりと安定感のある形と、ちょっとしゃれた通気口。
蔵の街、川越を意識して、駅舎のデザインをしたのかな、とも思ったが、どの駅舎も開業当時からのもの。
蔵の街を模したのではなく、蔵造の技術が駅舎にも生きたのかも知れない。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月17日
蔵の街・川越を訪ねて《その4》=指扇(さしおおぎ)駅=
日進駅からまた列車に乗って、次の駅で降りる。
駅前は日進駅よりも広く、ロータリーになっている。
花壇には花が植えられ、大きな木には緑が茂っている。
駅舎から外に出て、駅舎を振返ると、「あれ?」と思う。
ついさっき、見てきた駅舎が、またそこにある。
斜めの角度から、駅名標の付近を撮ってみる。
やはり日進駅と同じように、まるい囲みの中に二つの穴がならんでいる。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月11日
蔵の街・川越を訪ねて《その3》=日進(にっしん)駅=
大宮駅から一つ目、日進(にっしん)駅で降りる。
駅前はさほど広くないが、そこから繋がる商店街は活気があり、人が常に行き来している。
駅舎は川越線が開業した1940(昭和15)年当時のもの。
白壁に黒い瓦屋根。正面から見た印象は、特に造りが凝っているわけではないけれど、堂々としているという感じ。
奥の屋根が高いせいかなと思う。
大宮から一つ目、日進駅のこの駅舎の形、まずは覚えておいて欲しい。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月11日
蔵の街・川越を訪ねて《その2》=埼京線・205系列車=
大宮の地下駅から乗ったのは、埼京線の205系列車。
ついこの間、山手線から引退した205系も、ここでは健在だ。
大宮から乗って最初に下車した日進駅にて。
去り行く列車を後追い撮影。
(2006年6月10日・撮影)
2006年06月11日
蔵の街・川越を訪ねて《その1》=始まりは大宮駅から=
江戸時代の蔵造の街がそのまま残り、「小江戸」と呼ばれている埼玉県の川越市。
そこを走る川越線に乗ろうと思う。
もともとは高麗川駅(埼玉県日高市)と大宮駅(埼玉県さいたま市)とを結ぶ路線だったが、埼京線が乗り入れた現在では、大宮−川越を埼京線、川越−高麗川を川越線と言っているのかなと思う。
高麗川と大宮、どちらから行こうかなと考えたが、今回は湘南新宿ラインで大宮に出て、そこからひとつずつ高麗川まで下ってゆこうと思う。
大宮駅は、さいたま市の中心駅であると同時に、埼玉県内で最多の路線が集まるターミナル駅であり、また、国鉄大宮工場(現・大宮総合車両センター)があることから、鉄道の町といわれているだけに、駅舎も立派なビルだ。
高崎線や宇都宮線などから少し離れて、地下に降りていったところに、川越線(埼京線)のホームがある。
(2006年6月10日・撮影)