2006年01月05日
出遅れたけど、初詣 【京急大師線で川崎大師へ】
2005年11月28日
【さよなら】 京急700形引退 【お疲れ様】

今日、11月28日で、京浜急行700形が引退する。
仕事をちょっとだけ抜け出して、京急川崎駅に行ってみた。
700形は、普通電車の乗降時間短縮を目的とし京急で初めて4ドアを採用した車両だ。しかし、他の車輌と比べると起動時の加速が悪いため、本線では運用せず、専ら大師線のみの運用となっている。
いよいよ大師方面からやってきて、1番線ホームに入線した。
先頭車両にはヘッドマークがついている。
今日は一般の乗車はなく、幼稚園、保育園のちびっこたちをお客様として、セレモニーが行われた。

左側が、今日引退する700形、右側が今後を託す1000形だ。
ヘッドライトの位置が、上に飛び出している1000形に対し、700形は埋め込まれているのがわかる。

セレモニーは30分ほど続き、ちびっこたちを乗せた700形は、ホームを出て行った。
※最後の運行を終えて品川駅に回送されるところだったので、子どもたちは乗っていなかったそうです。(2005.12.03・訂正)

大師線は、京急川崎駅を出ると、大きく右にカーブしている。しかし、今日の700形は、そのまま直進し、坂を上って高架になっている本線に乗り、品川方面に行ってしまった。
赤くてコロンとまるくて、私鉄の中では一番好きなな電車。
元旦には川崎大師への初詣客の輸送を一身に担う。
長い間がんばってきた700形。お疲れ様、と言いたい。
ただひとつ、残念なことがある。
これまでのがんばりをねぎらうためにセレモニーを行うのは良い。
でも、これまで大師線としてがんばってきたのだから、最後の日も大師線を走らせて欲しかったと思う。
それと、「貸切」ではなく、いつもの「京急川崎−小島新田」の方向幕で。
※セレモニーに参加された幼稚園の園長先生からコメントをいただきました。
最後の日の運行は本線ではなく、大師線だったそうです。
私が出会ったのはたまたま最後の日の「最後」の運行だったため、品川駅留置に備えて本線に入っていったようです。
よかった。それじゃなくちゃね。(2005.12.01・追記)
※「貸切」でなく「京急川崎−小島新田」の方向幕で、と書いたのは、あくまでも『方向幕』についてのみ感じたことです。沿線の園児たちのために貸切にしたことはとても素敵な企画だと思っています。関係者の方々には不愉快な表現だったことをお詫びします。(2005.12.03・追記)

2005年02月06日
赤い電車で三浦半島へ《その3》

三浦海岸を出て、あっという間に川崎駅に帰ってきた。
電車を降りて、しばらくホームをぶらぶらする。
お目当ては、これ。京急の車輌の中でも一番好きな車輌。都営、京成、京急の直通車両規格に基づいて1959年に登場した、1000形車輌だ。
毎日のように通りがかりに京急の電車に会うのだが、この電車に会うと、なぜか元気が出てくる。まるいお顔がなんだか優しくて、にこにこ笑って「がんばれよ」って言ってるように見えるのだ。
残念ながら初期の頃の白幕車(先頭の行き先幕が白いもの)は今はなく、全てがこの黒幕車になってしまったそうだが、それでもまだまだ笑ったお顔は健在だ。
2005年02月06日
赤い電車で三浦半島へ《その2》

終点、三崎口からひとつ戻り、三浦海岸駅で下車して、駅舎を出た。
夏なら三浦海岸を目指した海水浴客で賑わうのだろうが、今の季節は静かな風情。
駅を出て、まず目についたのが、この看板。
そうそう、なんといってもこの先、三浦半島の突端の、三崎港で揚がるまぐろはうまい・・・(らしい。残念ながら食べてない)。
駅前では何かイベントがあるのか、たくさんの屋台が並んでいる。
これはご当地名産の「三浦大根」だろうか。1本150円だ。
2005年02月06日
赤い電車で三浦半島へ《その1》

JR川崎駅に用事があったので、京浜急行に乗って、三浦半島へ行ってみた。
京浜川崎を出て、横浜、上大岡、金沢文庫、横須賀、久里浜などを経て、終点、三崎口まで。
途中、急行やら快速やらに何度か乗り換えて、約1時間の小旅行だ。
終点三崎口駅で、横浜方面に向けて発車準備をする2両の電車。
右側が特快専用車輌の2100形、右側が地下鉄乗り入れ用に取り入れられた1500型だ。
2100形は、首都圏の私鉄、通勤電車としてはめずらしい、2ドア、オール転換クロスシートを採用している。
加速時に、独特なメロディーを奏でるのも、また楽しい。