2005年06月19日
長崎からの贈り物《その6》=島鉄と島原の子守唄=

私にとっては長崎県は未知の世界。そこで、『島原鉄道』について、いろいろと調べてみた。
かわいらしい黄色のキハに描かれたイラストが、『島原の子守唄』をイメージすることを知り、それはどんな子守唄だっただろうと調べを進めてゆくうちに、悲しい現実を突きつけられることになった。
日本の子守唄は、幼くして子守奉公に出された少女が、奉公先の子のために歌っているものが多く、『島原の子守唄』も例外ではなかった。
貧しい生活を支えるために奉公に出された少女は、ぐずる背中の子どもに対して、「そんなに泣いたら、人買いに連れてゆかれるぞ」と脅しながら、わが身の辛さをそこにぶつけている。
そして同時に、『からゆきさん』の哀切も歌いこまれていたのだ。
江戸時代の末から、明治、大正、昭和の始め頃まで、からゆきさんは存在していた。
からゆきさんとは、その語源が『唐行き』さんであるように、唐(当時、外国のことをひっくるめて「唐」といった)へ向けて売られていった娘たちのことだ。
からゆきさんは、全国どこからも出たが、特に西日本に多く、海に面している地域に目立った。その中に島原地方も含まれていた。

いくら世の中は不景気だと言っても、私たちはなんとか生活できている。しかし、食べることもままならず、我が子を身を切る思いで手放した、そんな時代が、私たちが今も生活するこの土の上にあった。
私たちはそういった様々な悲劇の上に、豊かな日本が築かれていることを、決して忘れてはならないと思う。
姉さんかぶりの少女の笑顔の裏に、深い悲しみがある。
※『からゆきさん』については《からゆきさんの小部屋》をご参照ください。
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2005年06月19日
2005年06月19日
長崎からの贈り物《その4》=神代町駅=

友人の弟さんが撮影してくれたのは、『神代町(こうじろまち)』近辺。
『神代町駅』は、諫早から13個目、有明海沿いを東に進み、やがて半島の形に沿って南下し始める直前くらいにある。地図で言うと、「国見」と書かれたあたりだ。
友人は、「昔は古い駅舎だったのよ。最近、こんなふうに改築されたの。でも、周りの風景は昔のままよ」と話してくれた。
駅舎越しの空が青い。
2005年06月18日
長崎からの贈り物《その3》=踏切と空=

撮影されたのは6月5日。そのときはすでに長崎は梅雨入りしていただろうか。だとしたらその日は梅雨の中休みか。
踏切越しに見たぽっかりと雲の浮いた真青な空。
古びた倉とさび付いた踏切の看板。
都心ではなかなか見ることのできないこんな風景に、心洗われる思いだ。
2005年06月18日
長崎からの贈り物《その2》=島原鉄道とは=

島原鉄道とは、九州の西の端、長崎県の「諫早」から出発し、島原半島をぐるっと3分の2周して、加津佐まで行っている路線だ。
島原半島には雲仙普賢岳があり、平成2年、200年ぶりの大噴火では、島鉄も火砕流、土石流に呑み込まれている。
しかし、6年にも及んだ復旧作業を経て、島鉄はよみがえったのだ。
2005年06月18日
長崎からの贈り物《その1》=おどみゃ島鉄号=

長崎を故郷に持つ友人がいる。
彼女の弟さんが、帰省の折に、島原鉄道を撮影し、わざわざ私に届けてくれた。
電化されていない単線の路線には、かわいらしい黄色のキハが走る。
車輌の前方に描かれたイラストは、「島原の子守唄」をイメージし、『おどみゃ島鉄号』と呼ばれている。