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2006年11月05日

青春18きっぷの旅《播但線編・その8》=終点・和田山駅到着=



圧巻の竹田駅を後にし、また列車に乗る。
竹田駅のすぐお隣は、播但線の終着駅、和田山(わだやま)駅だ。

山陰本線と播但線との接続駅の和田山駅は、旧和田山町、朝来町などが合併してできた、朝来(あさご)市の中心駅だ。播但線の路線名の由来にもなる、兵庫県但馬地域に位置している。

駅舎はまだ新しく、白くきれいなビルだ。



夏空の広がるその日、和田山駅周辺は夏祭りが行われていた。
突然響いた和太鼓の音は、暑くて疲れた体に元気をくれた。



次の列車の待ち合わせ時間は約40分。
思いがけずのプレゼントにうきうきしながら駅に戻ると、今夜行われる花火大会のポスターが貼ってあった。
心惹かれるものはあったけれど、さすがにそれは無理、とホームに降りた。

(2006年8月23日・播但線和田山駅にて撮影)  

2006年11月03日

青春18きっぷの旅《播但線編・その7》=竹田駅=



寺前駅からキハに乗り、長谷(はせ)、生野(いくの)、新井(にい)、青倉(あおくら)と乗り越して、その次の竹田(たけだ)駅で降りた。
赤いキハを見送った後、改札を出て駅舎を眺める。

駅前から見た駅舎の姿は圧巻だった。あまりにも堂々としていて、ただ見とれるばかり。
黒光りする瓦屋根と、堂々たる高さ。磨きこまれた茶色い梁を見せる白い壁、そして柔らかな木製の腰壁。



正面から見ると、こんな感じ。
二階の壁に掲げられた、角張った文字の駅名と黒い屋根。そしてその上を覆う緑と真っ青な空にぽっかりと浮いた白い雲。
入口正面の改札越しに見える、反対側のホームの様子。



改札を入り、和田山方面行きホームから、駅舎を見る。
半分だけきれいになった黒い瓦屋根がなんだかいい感じ。
昔ながらの木の香りに、現代的なプラスチックのブルーのベンチがうまくマッチしている。



立派な駅舎に相応しく広々としたホームにしばらくたたずむ。
ホームは対向式2面2線。右側駅舎側が寺前方面行き、左側待合室側が和田山方面行きホームだ。
和田山方面行きホームはかつては島式で2線あったようだが、後からはずされた形跡がある。

やがて、寺前方面行きの赤いキハが入ってくる。
深い緑に覆われた山と、白い雲がぽっかりと浮いた真青な空に、重厚な木造駅舎と赤い小さな列車の姿が美しい。

竹田駅の近くには竹田城址がある。
城下からはかなり高いところにあり、またしばしば円山川からの川霧に霞むことから、「天空の城」という異名をとっているそうだ。
城址と言っても天守閣はなく、石垣だけが残されている状態だそうだが、逆にそれが神秘的な状態を醸し出しているようで、「日本100名城」にも選ばれているそうだ。

そこを訪れた観光客の方に駅長さんが答えた、「大雨の影響で今は行かれなくなってるよ」の言葉に、異常気象の爪痕を見た思いだった。

(2006年8月23日・播但線竹田駅にて撮影)  

2006年10月29日

青春18きっぷの旅《播但線編・その6》=去り行くキハ=



寺前駅から約40分キハに乗って、竹田駅まで行く。
同じ単線とはいえ、そこそこ垢抜けた感のあった電化区間と違って、非電化区間の赤いキハは、山の中を走る。
幅の狭いトンネルも多く、山を切り開いて敷いた線路を体感することができる。

竹田駅で何人かの人々を降ろした後、キハはゆっくりとホームを出てゆく。
ホーム前で2つに別れた線路がひとつに合わさって、また単線になる。

キハはカーブを曲がりきってポイントを通過し、まっすぐに森の中に突っ込んで行くかのようだ。

(2006年8月23日・播但線竹田駅にて撮影)  

2006年10月28日

青春18きっぷの旅《播但線編・その5》=寺前駅にて乗換=



甘地駅から、次の下車駅を目指して、また列車に乗る。
しかし、その前にやらなくてはならないことがある。

鶴居(つるい)、新野(にいの)を乗り越し、その次の寺前(てらまえ)駅で降りる。
寺前までは、電車の103系列車。しかし、ここからは非電化区域に入るため、電車から気動車に乗り換えなければならない。

寺前駅で待っていたのは、山陰本線を走った、キハ40系列車。
寺前で下車した人以外は全員乗換。たった1両の赤いキハは、満席になった。

(2006年8月23日・播但線寺前駅にて撮影)  

2006年10月28日

青春18きっぷの旅《播但線編・その4》=甘地駅=



姫路駅で何種類かの列車を見送ったあと、午前9時59分発の103系列車に乗った。
京口(きょうぐち)、野里(のざと)、砥堀(とほり)、仁豊野(にぶの)、香呂(こうろ)、溝口(みぞぐち)、福崎(ふくざき)と乗って、甘地(あまじ)駅で降りる。

姫路駅を出ると、まもなく進行方向左側の小高い丘の上に、姫路城を見ることができる。
列車は、野里まで高架化されていて、列車は眺めの良い高いところを走る。

姫路から列車に乗って約30分。列車は甘地駅に到着した。

甘地駅もまた、グレーの瓦屋根を乗せた木造駅舎だ。



階段をとんとんと上ると、三角屋根のファサードがあって、その先に改札がある。
三角屋根の右側には、かつてはキオスクがあり、新聞やお土産などが売られていたが、現在では撤去され、ドリンク類の自動販売機になっている。

改札口のラッチ越しに、姫路行きの赤い103系列車が見える。
関東地方では見慣れない、ドアガラスの周囲の黒い塗装が新鮮だ。



甘地駅ではのんびりと1時間あまりを過ごす。
その間には、大阪から播但線を経由して山陰本線に出て、香住、浜坂、鳥取などに向かう、特急「はまかぜ」も通過して行った。

甘地駅におられる職員の方も、委託の方なのだろうか。駅を訪れる乗客の方たちに、気さくに「こんにちは」と声をかけておられた。
ときには観光案内をし、また、いっしょに時刻表を覗き込みながら指定切符の取り方などの相談にも乗ったり、と、とても温かい場面を何度も目にした。

兵庫県西部の中心都市、姫路と、兵庫県の但馬地方を結ぶローカル路線もまた、ゆったりとした空気が流れている。

(2006年8月23日・播但線甘地駅にて撮影)  

2006年10月22日

青春18きっぷの旅《播但線編・その3》=姫路駅の列車たち=



あらためて改札を入る。
姫路駅は、山陽本線などは高架化が終わっていて、ホームは高いところにある。
しかし、これから乗ろうとする播但線のホームはまだ地上にある。

山陽本線などとは少し離れたところにあるホームを、姫路駅を起点とした播但線と姫新線が4つに分けて使用する形をとっている。

播但線のホーム、33番線の外側には、水色の103系列車が停車している。
ラッシュ時の播但線の助人として活躍したあと、留置線で羽を休める。
関東地方で、京浜東北線などとして活躍した車両は、水色が色あせ、心なしか疲れた感じがする。



播但線のホームから、いったん来た道を戻る。
播但線と地続きの姫新線の0番線は、切欠ホーム(ホームの一部を切り取って、そこに行き止まりのホームを設けた形)になっていて、播但線とはお互いにおしりを向ける形になっている。

新見駅と姫路駅を結ぶ姫新線には、国鉄色に近いベージュとオレンジのキハ40系が走る。
姫新線もなかなか味のあるローカル線で、古い駅舎がとても良い感じで残っている。
今回は無理だけれども、いつかきっと乗ってみたい列車だ。



0番線で姫新線を見送ったあと、播但線の33番線に戻る。
播但線を走るのは留置線で休んでいた水色の列車と同じ、103系列車だ。
播但線の電化区間、姫路-寺前を走る。

(2006年8月23日・姫路駅にて撮影)  

2006年10月22日

青春18きっぷの旅《播但線編・その2》=姫路駅=



播州赤穂駅で乗り換えて、姫路駅に到着した。
9時を過ぎ、通勤ラッシュもひと段落した頃。

改札を出て駅前に立ってみる。

姫路駅も新幹線の停車駅。駅舎は立派なビルだ。
駅前は植え込みが多く、緑があふれている。

(2006年8月23日・姫路駅にて撮影)  

2006年10月22日

青春18きっぷの旅《播但線編・その1》=岡山駅から出発=



青春18きっぷの旅は3日目を迎えた。
岡山から姫路に出て、播但(ばんたん)線に乗ろうと思う。

繁華街にあるホテルを出て、朝のすがすがしい空気の中、岡山駅に向かう。



姫路へ行くには、山陽本線もいいけれど、ここはひとつ赤穂線に乗ってみる。
7時21分発、播州赤穂(ばんしゅうあこう)行き。



朝7時。平日だし、通勤ラッシュでホームは大混雑かな、そんな心配をしながらホームに降りる。
しかし、どちらかというと岡山駅に向かう人が多いのか、まだラッシュは始まっておらず、なんとなくのんびりとした雰囲気がある。

しばらくすると、頭の上でにぎやかな音楽が鳴り出した。
そしてスピーカーはやがて「も~もたろさん ももたろさん」と歌い始めた。

あぁそうだ、今日は桃太郎のふるさとにいるんだったとあらためて思い、ちょっぴり緊張気味の心がほぐれた。

(2006年8月23日・岡山駅、播州赤穂駅にて撮影)  

2006年10月21日

青春18きっぷの旅《津山線編・その6》=岡山駅到着=



建部駅を午後6時8分に出発し、途中 金川(かながわ)、野々口(ののくち)、牧山(まきやま)、玉柏(たまがし)、備前原(びぜんはら)、法界院(ほうかいいん)と乗り越して、終点の岡山駅に到着した。
早朝5時8分に鳥取駅を出発し、約14時間、2路線の旅がやっと終わった。

さまざまな事情から過疎化に拍車がかかる因美線と、逆にその影響で少しずつ整備されている津山線。
それは、鳥取からの直通列車、急行「砂丘」が廃止されたことを受けての、快速「ことぶき」、急行「つやま」の運行開始などに、顕著に現れている。

しかし、環境が変わっていっても、そこで生活する人々の人情は変わらない、そんなことを実感した二つのローカル線の旅だった。

さて、2日目の終点、岡山駅。
こちらは新幹線も停車する、中国地方でも有数の地方都市であるだけに、駅舎は立派なビルだ。
駅舎から外に出て街中を歩くと、車と一緒に道路を走る路面電車に出会う。
岡山電気軌道、通称「おかでん」だ。
さわやかなブルーと、デフォルメされた新幹線が、元気をくれる。

(2006年8月22日・岡山駅の目抜き通りにて撮影)  

2006年10月21日

青春18きっぷの旅《津山線編・その5》=建部駅=



福渡駅からまた列車に乗って、お隣の建部(たけべ)駅で降りる。

列車からホームに降り立って、何気に駅舎を見る。
年季の入った駅舎の白い土壁は剥がれ落ち、竹を組んだ基礎が見えている。



改札を出て、駅舎正面に回ってみる。
建部駅に着いたのが午後5時32分。夏とは言っても日は傾き、あたりは薄暗くなってきた。
黒い瓦屋根と板張りの壁にハーフティンバーの白い壁、そして木の柱。更に石を積み上げた土台。
それらが西に傾きかけた日の光の中でいぶし銀のように輝いている。



建部駅は、1900(明治33)年開業以来の古い木造駅舎だ。
入口の壁にかかった駅名板は、初代の駅長さんの揮毫によるものだそうだ。
機械的に作られた看板とは違って、実に温かみのある「建部駅」だ。

私はこの建部駅を、真島秀満氏の「驛の記憶」という本で知った。
そしてそこは、今回の津山線訪問で絶対にはずせない駅になった。

建部駅ではどうやら委託の職員の方がそこで生活をされているようだ。
映画「鉄道員」で見たような風景が、そこにあった。
そして古い木造駅舎は、そんな方々の愛情によって、支えられているのだろう。

(2006年8月22日・津山線建部駅にて撮影)