2007年03月25日
信越本線・廃線跡を訪ねて《プロローグ》=めがねばし=

群馬県高崎駅から長野県長野駅を経て新潟県新潟駅までを結んだ幹線のひとつ、信越本線。
1886(明治18)年10月に高崎-横川間が開通。
1889(明治21)年12月に直江津から徐々に延伸して、軽井沢まで開通。
横川-軽井沢間が開通し、全通したのがそれから5年後の1894(明治26)年4月。
横川、軽井沢間には碓氷峠があり、それを超える碓氷線は、旧国鉄・JRで最急の66.7‰の勾配を有し、最大の難所とされていた。
急勾配を登るために、アプト式を使用したり、機関車を2両連結したりと、様々な努力をしてきた路線だ。
しかし、1997(平成9)年10月、長野新幹線が開業したことで、100年以上もの努力と汗の歴史に幕を下ろすことになった。
高崎からの信越本線は、横川駅を終点とし、軽井沢への鉄路は廃止され、バス輸送に移行され、軽井沢から篠ノ井までは第三セクターのしなの鉄道に移行されている。
現在、難所を支えた碓氷線の施設は、鉄道遺産として保存されている。
早春の一日、碓氷線の廃線跡を歩いてみた。
遊歩道となったアプト式の線路の上を約1時間半ほど歩くと、その終点に、この「めがねばし」がある。
(2007年3月23日・碓氷線廃線跡・めがねばしにて撮影)