2006年05月14日
スカ色電車に会いに行こう《その9》=千葉へ向かう=

大網駅で時間を取ってしまったため、成東駅を出るときにはもう午後4時をまわっていた。
総武線を銚子まで行って、そこから更に成田線に乗って千葉へ帰ろうと計画していたのだが、本日のスカ色電車おっかけはここで止めることにする。
黄色い方向幕の総武本線に乗って、千葉へ戻る。
田園地帯を走る青いスカ色電車。そんな構図を思い描いていたけれど、私の方向音痴のせいで、その夢はかなわなかった。
でも、その代わりに、美しい里山の姿に出会うことができた。
5月に入ったばかりなのに、たんぼには水が張られ、田植えが済んでいた。
この光景はまったくの想定外だった。
思いがけずのさわやかな風に、またもう少しがんばろう、そんなふうに思ったひとときだった。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月14日
スカ色電車に会いに行こう《その8》=成東(なるとう)駅=

東金駅からまたスカ色電車に乗って、終点、成東駅にやってきた。
東金線が入る0番線はここで大網方面に折り返すので、線路の先は行き止まりの頭端式のホームになっている。
電車を降りて、しばらくまっすぐ行くと、成東駅の駅舎が見えてくる。
改札を出て、駅舎を眺めてみる。
貨物列車の外房線への分岐駅だっただけに、駅舎は大きくて立派だ。
昭和22年に建てられた建物だそうだが、東金駅同様、リフォームしたのか、壁や待合室の内装などはきれいだ。
しかし、ピンクの瓦屋根はなんだか違和感があるが、これもご愛嬌だろうか。

総武線が入る1番線の千葉寄りから駅舎をみてみる。
ホームは2面。
駅舎の先に東金線の0番線があり、こちら側には総武線の1,2,3番線がある。
大きな駅舎の手前にあるのは、木造の古い危険物倉庫。壁には「危険物」という看板がはってある。
跨線橋を渡った2番線ホームには、待合室もある。

2番線ホームから見た駅舎の様子。
やはりなかなかに大きい。
鉄道の歴史の中でも取り残された感のある千葉県の中で、成東駅の役割の大きさを偲ぶことができる。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月13日
スカ色電車に会いに行こう《その7》=東金(とうがね)駅=

東金線は大網駅を出ると、福俵(ふくたわら)→東金→求名(ぐみょう)→成東と、4つの駅しかない。
全ての駅で降りてみようと思っていたけれど、大網で時間を使いすぎたため、いくつか通過することにした。
次に降りたのは東金駅。
路線の名前にもなっているこの駅は東金線でも中心駅のようで、駅前のロータリーにはタクシーがたくさん客待ちをしている。
駅舎は赤い瓦屋根が古い感じをよく残しているが、よくみると全体的にリフォームされている。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月13日
スカ色電車に会いに行こう《その6》=歩き疲れて・・・=

次の駅まで歩こう、そう思って大網駅を出たけれど、目指す方向を間違えたのか、目的のものがなかなか見えてこない。
懐かしい里山の風景も見たことだし、ここで引き返すかな、そう思い、大網駅に戻る。
大網駅を出てまた戻ってくるまで約3時間、歩き疲れた所にまた踏切のカンカンカンが聞こえてきた。
行きと同じ金谷踏切近くにて。
廃線跡近辺に無造作に積まれた枕木の向こうに、青いスカ色電車が走って行く。
今走って行ったのはこれから目指す成東行き、つまりはここでまた、次の電車を1時間近くも待つことになる。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月06日
スカ色電車に会いに行こう《その5》=里山の風景=

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金谷踏切から、線路沿いを歩こうと思ったけれど、まもなく切通しに阻まれ、進めなくなってしまった。
線路両側の山を迂回すべく、進路を変える。
こっちかな、とあたりをつけた方向にはニュータウンが広がり、あのこんもりとした山の向こうに線路があると思い歩き続けるが、なかなか線路は見えない。
いつのまにかニュータウンのはじっこまできていた。
新しい町並みの中を走るきれいに整備された道は、若干細くなり、少し坂になっていて、その先の見通しが悪い。
あの先かなぁ、と歩き続け、昇った坂を下りると、突然視界が開けた。
水面に写る周辺の緑の木々と、植えられたばかりの小さい緑の苗。
温かな日差しの中でうっすらと汗をかいた体に、水面からのさわやかな風が吹き、疲れは一気に吹き飛んだ。
一面に広がる水田と、その先の緑の森。これこそ里山の風景かなと思う。

たんぼの向こうの農家のおうちには、新緑薫る風に気持ちよく泳ぐ鯉のぼりの姿がある。
「屋根より高い鯉のぼり」・・・久々に見た。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月05日
スカ色電車に会いに行こう《その4》=大網駅の軌跡=

金谷踏切からしばらく成東方面に歩くと、道路沿いに突然古い腕木式信号機があらわれる。
そこは小さな児童公園になっていて、その傍には説明書きの看板が立っている。
その昔、外房線が大網から一宮まで開通したとき(明治26年)、大網と隣の土気(とけ)との間は勾配がきつく、スイッチバックでそれを乗り切っていた。
その後、明治44年に東金−成東間が開通すると、千葉から外房方面への貨物は、その最難関を回避するため、千葉から総武線経由で、佐倉、成東を通り、東金、大網、外房というルートを通った。
やがて、スイッチバックで難所を越えた旅客専用の外房線も、昭和47年に外房線の大網駅を移転することでまっすぐに進むことができるようになった。
児童公園は旧大網駅の跡地で、腕木式信号機は、明治時代から使われている手動式の信号機だそうだ。
昭和47年に駅を移転したとき、成東方面からの貨物輸送のため、新しい大網駅を通らず、そのまま外房線へ抜ける旧線は貨物専用の短絡線として残されたが、これも平成9年 12月に廃止された。

東金線から外房線側に延びたこの引込み線は、その跡だ。
この引き込み線がかつては外房線の茂原、勝浦方面に向かっていたのだ。

ただ踏切の名前を記録するために何気なく撮った「金谷踏切」。
実はこの先に、東金線から外房線に続く線路の歴史があったのだ。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月04日
スカ色電車に会いに行こう《その3》=スカ色電車(大網・金谷踏切にて)=

大網駅を出て、少し沿線を歩いてみようかなと思う。
線路に沿ってしばらく成東方面に歩くと、「金谷踏切」と書かれた踏切に出た。
まもなく、踏切がカンカンと鳴り出し、成東方面から外房線直通の千葉行きがやってきた。
もちろん、みかん電車の兄弟分、113系の青いスカ色電車だ。
線路脇の電柱がちょっとじゃまだけれど、ま、いっか。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月04日
スカ色電車に会いに行こう《その2》=大網(おおあみ)駅=

蘇我駅から赤い方向幕の外房線に乗ったなら、東金線との分岐駅、大網駅で降りよう、そう思っていた。
しかし、よくよく考えたら「成東(なるとう)」は、東金線の終着駅。
どうやら東金線への直通電車に乗ってしまったようだ。
とりあえずいったん大網駅で降りることにする。
高架になった外房線の大網駅のホームは橋上にある。
階段をトントンと下りると、ホームの下に駅舎がある。

外房線の大網駅から、くるっと反対側を見ると、同じように高い土手の上にホームがある。
こちらが東金線の大網駅だ。
外房線と東金線は、ホームの手前でYの字型に大きく分かれ、それぞれの目的地に向かっている。
(2006年5月3日・撮影)
2006年05月04日
スカ色電車に会いに行こう《その1》=蘇我駅から成東行き=

横須賀色の113系列車に乗りたいと思う。
スカ色列車の宝庫といえば、千葉県だ。
総武本線、内房線、外房線・・・どれも青とベージュのツートンカラー。
かつて、横須賀線のシンボルだったことから、「スカ色」という。
房総半島をぐるっと回る内房線、外房線と、内陸から銚子のはずれに出る総武本線との間に、たった5駅の東金線がある。
それに乗ろうと思う。
ディズニーランドを右手に見ながら、京葉線で内房線と外房線の分岐点の蘇我駅に出る。
隣のホームに停まっていた赤い方向幕の「成東(なるとう)行き」に乗ることにする。
(2006年5月3日・撮影)