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2004年06月02日

ネット社会への警笛〜長崎の小学生の事件から〜

長崎県佐世保市で、悲痛な事件がおきた。
同級生の首をカッターで切りつけ、死に至らしめた事件。
小学校6年生。学校の中。仲の良い友達同士。
どれをとっても、「うそだろう」と言いたくなる事件だ。

私にも小学生の子どもがいるので、人事ではない。平和そうに見える小学校の中にも、よくよく話を聞いてみると、陰惨ないじめが隠れていたり、というのは現実として、知っている。

しかし、今回の事件はそういうことではないらしい。朝の出勤前、聞くとはなしに聞いていたテレビから聞こえてきたのは「HP、チャット仲間」という言葉。

私も最近、ネット社会に入り浸りながら、思うことがある。怖い世界だな、と。見えない相手との会話は話が弾むととても楽しい。お互いに気持ちが通じ合っている感覚を覚え、快感となる。しかし、ひとたび歯車が狂ったとき、画面上に浮き上がった文字は、相手の心をぐっさりとえぐる凶器にもなりうる。

お互いに相手の顔が見えないから、微妙な表情の変化が読めない。また、画面上の文章からは、言葉のイントネーションが伝わらない。これは普段会話を交わすときの、相手の胸のうちを探る貴重な情報源なのだが、ネット上ではこれらが一切届かない。

例えば、「〜でしょう」と書かれた場合、語尾を上げれば相手の意見を聞こうとする態度だが、下げれば容赦なく断定だ。このように、自分では意図しなかった語感が、相手に伝わることも、十分にありうる。

大人なら、ここで相手の心に少しばかり思いを寄せることができるかもしれない。しかし、心が純粋であればあるほど、それは受け入れがたい凶器となって、胸に迫ってくるのだ。

今回のことは、まだ調査途中で、動機が明らかにされたわけではないので、あくまでも私の憶測の域を出ない。しかし、ネット社会に身を置くものとして、くれぐれも気をつけなければならないことだと強く思う。私自身、こうやって「素直なきもち」を書くことで、傷つく人がどこかにいるかも知れないという恐怖感はいつも持っている。

画面の向こうには、心を持った人間がいる。

----- 6月3日 追記 -----

同じテーマで、コメントさせていただいたエントリーに、あらためてトラックバックさせていただきたいと思います。

[の村さんの『小学生の殺人』]:http://sapolog.com/u/4001/%bc%d2%b2%f1/0000088129.html / [さとうかつのりさんの『長崎で起きた痛ましく悲しい事件』]:http://sapolog.com/u/4344/%b3%d8%b9%bb%c0%b8%b3%e8/0000088080.html / [狐の手袋さんの『子どもの事件』]:http://sapolog.com/u/2218/%a5%e8%a5%ce%a5%ca%a5%ab/0000088177.html

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この記事へのコメント
「パソコン」「ホームページ」がからんでいるので、いかにも「情報化社会の事件」に見えますが、本質はそこにはないと思います。きっかけが会話であろうと、交換日記であろうと、ともかく、「腹が立ったから殺す」という短絡的(衝動的?)な行動に出てしまう子がいるということ。なぜそんなことが?どうしてもわかりません。
子供たちに教えてこなかったことが、何かあるのだと思います。
Posted by ゲスト at 2004年06月03日 20:31
さとうかつのりさん、こんにちは。

私も全ては情報化社会が悪いのだとは思っていません。
たとえどのように傷つけられようとも、それがそのまま人を殺めることに直結してはならないし、するはずはないと思っています。

私もなぜそうなるのか、どうしたらいいのか、わかりません。
昔の(私たちの頃の)学校教育と、今の学校教育と、そんなに大きく変わっているとは思えないのですが、どうでしょうか。

ことさらに「命の大切さ」とか「心の教育」とか、言われるけれど、そんなことは昔からやってきたはずですよね。なのになんでここにきてそんなに声高に叫ばれなくてはならくなってしまったのでしょうか。
学校は昔も今もそう変わらないのに、どうしてこんなに子どもたちは変わってしまったのでしょうか。

私たちは子どもの頃、ことさらに「命を大事にしましょう」と習った記憶はありません。それでもそれはあたりまえのこととして、頭の中に埋め込まれている。無意識のうちに叩き込まれたもの、そういうことが今の教育に抜けていることなのでしょうか。

じゃぁ、それ、なに?と言われると、わからないのですが。

私たち親は、まず自分の子どもを何とかしなければなりません。学校のせい、とか、社会のせい、とか、他人のせいにしている場合ではないと思っています。
Posted by じゅの at 2004年06月03日 23:58
ニュースの内容によると、殺された女の子も、相手の悪口(容姿のこととか)を書いてたそうですが・・・。
『相手の立場になって考える』・・・これにさえ注意すれば、ネットに限らず、一般社会においても、トラブルは無くなる(減る)と思っています。
それを、親(家族)が教えるべきだと思います。
最近は何でも学校に頼り過ぎている部分もあるのではないでしょうか。
勉強以外のことは家庭で教える・・・これが基本だと思います。
Posted by らっぱくん at 2004年06月04日 18:26
> 学校は昔も今もそう変わらないのに、どうしてこんなに子どもたちは変わってしまったのでしょうか。

あとで自分のエントリーも建てたいと思いますが、とりあえず簡単に申せば、このての事件が起こるたびに指摘される「近頃の子供は……」的な議論が本当に現実を正しく捕らえているか慎重に考えるべきだと思います。

私の見たところ、子供の性向など30年前から対して変わってはおりません。
「少年犯罪データベース」
にあるように、昔から凶悪な事件を起こす子供はいたし、また大多数の子供は健全だったのです。この認識から導かれる必然的な結論として、インターネットや残虐表現に無実の罪をなすりつけるのも間違っています。
Posted by kojidoi at 2004年06月05日 04:34
子供が悪い、というよりはネットが悪いに変わっているような気がするのはわらしだけだろうか…。
Posted by おっさん at 2004年06月05日 05:22
みなさん、コメントありがとうございます。

私は、ニュースから聞こえてきた「HP、チャット」という言葉から、まずネット社会の中で世界に向けて言葉を発信している自分への誡めのつもりでこのエントリーを書いています。

おっさんさんが言うように、悪いのはあくまでもやってはならないことをしてしまった少女であり、ネットではないと私も思います。ネットのせいにして、その規制をしたって、何の意味もないと思います。その根本のところが変わっていないのだから。ただ、子どもがネットとかかわろうとするとき、そのような危険性をきちんと教えることは、大人の責任だとは思います。

kojidoriさんが言うように、確かに子どもによる犯罪は昔からあったし、「近頃の子ども」だけが悪くなっているわけではないというのは統計の数字を見ればそのとおりです。ただ、子どもを育てる親としては、「そんなことは昔からあったこと」と言ってはいられないのです。目の前に愛しいわが子がいるから、冷静な目は失われているかも知れない。けれど、私たちはいま、この子がまっとうに生きるためにはどうしなければならないかを考えなければなりません。学校教育が変わってないのに子どもが変わってしまったのはなぜか、その問いの裏側には、学校が変わっていないのだから、問題なのは親だろう、という思いが隠れています。

私たち実際に子どもを育てる親は、専門家がいくら科学的に分析してくれても、あんまり意味がない、というのが実感です。目の前の生身の人間を見ながら、その子の適した対応をしなければならないのですから。

私もらっぱくんが言うように、悪いのは回りではなく、親だと思っています。心の教育をするのは家庭の仕事であり、学校の仕事ではないと思います。そこまでははっきりわかっているのですが、じゃあ具体的にそれ何、と聞かれると、自信がありません。私たち親も、試行錯誤の真っ最中です。
Posted by じゅの at 2004年06月05日 09:43
というふうに、どんなに客観的データが示されても結局おなじみの主観から離れようとしないのでは、たしかに「意味がないという実感」しか感じられないでしょうし、試行錯誤も堂堂巡りしかしないのではないかと思うのですよ。 
もちろん、親の役割を真摯に考えようとするじゅのさんの問題意識は素晴らしいと思いますが、「気持ち」だけはダメなのでないかと考える次第です。
Posted by kojidoi at 2004年06月05日 20:21
kojidoiさんのおっしゃること、もっともだと思います。
逆に科学的な根拠に基づいて、理由がはっきりすれば、親はすごく楽だと思うんです。
例えば、養老猛司さんが「バカの壁」で言ってるような、切れやすい子の脳の状態とか、そういう脳ができてしまう原因だとか。
でもね、もちろん客観的なデータがあれば当然それを踏まえるのだけど、それだけではやっぱりだめだと思うんですね。客観的なデータがわが子に当てはまるとは限らないわけだから。
本当は誰にでもあてはまる客観的データがのどから手が出るほど欲しいのです。
Posted by じゅの at 2004年06月06日 01:17
kojidoiさんのおっしゃってる「客観的データ」というのは、「子どもが変わってしまった」ということに関して、ですね。
確かに数字に表れる事柄は変わってないのかも知れない。けれど、数字に表れない内面的なことはどうでしょう。
私も昔は自分が子どもだったので、それこそ客観的にはわからないけれど。
いくらショッキングな事件とはいっても、大騒ぎするべきではない、というのは、私も同感です。親も冷静にならないといけませんね。
Posted by じゅの at 2004年06月06日 01:33
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