2007年06月10日
長女、修学旅行へ行く

中学3年生の長女が、修学旅行へ行った。
目的地はお定まりの京都、奈良。
カメラ貸して、というので、京都駅と奈良駅を撮影することを条件にコンデジを貸してあげる。
さすがに団体旅行なので、駅舎の撮影はできなかったようだが・・・。
旅先で、宿舎で、お友達とのスナップ写真の間に、おそらく大阪環状線と思われる駅の駅名標があり、ホームで撮ったと思われるピンボケの電車の写真がある。
「お母さんが電車電車ってうるさいから、撮ってきてやった」と言う長女。
多分、その言葉は本当の気持ち。それでも、いそいそとシャッターを押す姿を勝手に想像し、嬉しくなったりする。
思春期真っ只中で、反抗的な態度に拍車がかかる長女。
それでもそんなささいなことで幸せな気分に浸れるって、親って単純なんだなぁとしみじみ思うのだ。
大阪駅(本当かな?)にて 201系 旅行会社の添乗員のおじさんの後姿とともに
※「大阪駅」ではなく「大阪城公園駅」が正解です。訪問者のらっぱくんより教えていただきました。
2007年05月06日
停車場の詩
2007年04月14日
五つのプロローグ・・・春の18きっぷの旅

プロローグのエントリーが五つ並んだ。
なぜ五つか・・・それは青春18きっぷの1枚分だから。
近場でできる日帰りの旅、五つ。
駅を降りるたび、できるだけ下車印を押していただいた。
《1回目》 春はすぐそこ・横須賀線
久里浜・衣笠・横須賀・田浦・東逗子・北鎌倉
《2回目》 信越本線・廃線跡を訪ねて
横川・磯部・安中
《3回目》 海の見える駅舎を訪ねる
平塚・小田原 (根府川・早川は無人駅のため下車印なし)
《4回目》 北総の小江戸・佐原を訪ねる
佐原・松岸・銚子
《5回目》 オレンジ電車で奥多摩へ行く
奥多摩・御嶽・青梅 (鳩ノ巣は無人駅のため下車印なし)
「下車印を押してください」とお願いしたときの、駅員さんの反応も様々。
淡々と押してくれる人・・・
「下車印、下車印・・・♪」と歌うようにして嬉しそうに押してくれる人・・・
しばし眺めて、「へぇ・・・いろいろなところに行ってるねぇ」と感嘆する人・・・
「全部の駅を降りるの?」と嬉しそうに尋ねてくれる人・・・
様々な業務を遂行しなくてはならない駅員さんには、面倒なことなのかも知れないなぁと思う。
それでも1枚の切符を大切に扱い、丁寧にはんこを押す姿に鉄道マンの誇りが垣間見えるとき、私も嬉しくなる。
さてさて、五つのプロローグ、続きはいつになることやら。
2007年01月08日
北国、仙台への旅 そして強風

年が明けた1月5、6、7日。
東北は仙台まで行ってきた。
寒い冬はきらいだし、正月休みは以外とのんびりできないし、と思い、出かけるつもりはなかったのだが。
仙台には夫の年老いた両親が二人で暮らしている。
実はここ数年、いろいろあってご無沙汰しているのだ。
夫は「俺は行かない」というけれど、ほっとくわけにもいかなくて、ちょっと様子を見てこようかなと思ったわけ。
どうせ行くなら楽しくね、そう思って鈍行列車の旅の計画を立てた。
往路は東北本線を使って、ひたすら北上。
中日は仙台で両親と会い、復路は常磐線でひたすら南下。
一日目、寒いだろうと思い、携帯カイロを買い込んで、防寒対策もばっちり整えたのに、晴れ渡った青空の中、首都圏とたいして変わらない暖かさに拍子抜けしつつ、いくつかの駅で途中下車をしながら一日かけて仙台に到着。
二日目はあいにくの大雨だったけれど、両親の家を訪ねていたので実害はなく。
三日目、また一日かけて東京へ戻る。
早朝6時半、これまた拍子抜けの暖かい仙台を常磐線に乗って後にする。雨はやんで晴れ間ものぞき始めた空を眺め、胸をなでおろしたのも束の間の喜び。仙台から約2時間、快調に走り続けた列車は仙台から16個目、最初の下車予定駅の原ノ町でぴたりととまってしまった。強風のため、この先いわきまでの間で断続的に運行できなくなっているとのこと。いわきまで行くはずだった列車は、ここで急遽折り返して仙台に戻ることになり、いわきに向けては代行バスが仕立てられた。
いわきまで出ればもう大丈夫、その先は正常だから、その時点ではそういう話だった。
しかし、低気圧による強風は、徐々に南下していたのだった。
いわき駅まで出れば、というお話のとおり、上り列車は定刻どおりに発車したのだが、徐行、停止を繰り返しながら、いわきから9個目の高萩駅で完全に止まり、ぴくりとも動かなくなってしまった。高萩に到着したのが夕方4時過ぎ。あたりはまだ日があって明るい。鈍行列車の中は暖房がきいていて暖かく、疲れも出てきてシートに座ったまましばし居眠り。ふと気づいたときには日が落ちてあたりは真っ暗。
風はだいぶ弱まっているのに、一向に動き出さないのは、架線にビニールがからまっているからだとかで、仕方ないねと本を読んだり居眠りしたり。しかし、高萩から上野までは普通に走って3時間。上野から先も何回かの乗換があるので、7時に近くなるとさすがにやばいかもと思い始める。ホームの事務室に駅長さんらしき姿が見えたので、「あとでれくらいかかりますか?南関東の○○まで帰るのですが・・・」と訊ねてみる。
駅長さんもそれはまずいと思ったのか、「すぐに情報を集めますから」とおっしゃる。
列車に乗ってシートに座っていると、駅長さんがやってくる。
架線のビニールの撤去作業が終われば走り出します。でも、みんな同じ線路を使うので、この列車が止まっている限り他の列車も動きません。この後スーパーひたちが追いかけてきます。それに乗り換えるのが一番早いです。
東北特有の抑揚のあるしゃべりかたで、駅長さんは丁寧に説明してくださった。
おばあちゃんの田舎が北関東だった私には、懐かしく暖かいお国訛りを聞きながら、ま、いっか、と妙にゆったりした気分に。
午後8時過ぎに勝田駅で乗り換えたスーパーひたちも、何度かの飛来物での立ち往生で、上野駅に着いたのは夜11時半過ぎ。それからなんとか自宅の最寄の路線の最終列車に滑り込みセーフ。
実に長い一日がやっと終わった。
この大混乱を、首都圏に当てはめてみる。
おそらく乗客は苛立ち、大混雑の中で怒号が飛び交うことになるのだろう。
休日で、仕事がらみが少なかったこともあるのかも知れない。
ゆったりとした鈍行列車の車内は、暖房が効いて暖かく、人も少ないので余裕があるのか、人々もみなおおらかだ。
途中、運転中止になった原ノ町駅の人々も、みな静かにたんたんと待っている。
首都圏の、殺伐とした通勤風景に慣れきっている私には、なんとも新鮮な風景だった。
忙しさや混雑は、人を乱暴にするんだな、あらためて実感したことだった。
(写真は常磐線原ノ町駅にて折り返し仙台行きになった455系列車)
2006年08月12日
18キッパー☆山陰・山陽へ行く

「この夏の新色」、やっぱり見に行こうと思う。
初めての青春18きっぷは、山陰、山陽方面に的を絞った。
まず、山陰本線で餘部鉄橋を見に行く。
それから、因美・津山線で、岡山へ出る。
そしてその後はのんびり、いや、もしかしたらフルスピードで、東京に帰ってくる。
今、少ない本数にいかに乗るか、時刻表と格闘中だ。
2006年07月16日
この夏の新色です。《青春18きっぷ☆駅ポスターから》

いつも利用するJRの駅に、今年も掲示されました。
青春18きっぷのポスターです。
小さな小さなキャッチコピーは、「この夏の新色です。」
本当に、初めて見る青かもしれないなと思う。
さて、夏休み、18きっぷ初体験してみる?
2006年05月15日
また会いましょう、交通博物館

今日(2006年5月14日)をもって、旧万世橋駅跡地(東京・神田)の交通博物館が閉館した。
交通博物館と初めて出会ったのは、子どもの頃、電車好きな兄といっしょに両親に連れて行ってもらったときだっただろうか。
兄といっしょに、そこで何をしたのか、そのときの記憶は残っていない。
今から約15年前、まだ幼い長男を連れて行ったとき、不思議と懐かしい気持ちになった。
記憶の奥底に眠っていた兄との訪問の記憶が呼び起こされたように。
列車、飛行機、ヘリコプター、バス、自動車・・・
それぞれの模型やシミュレーターに、長男の目は釘付けになり、キラキラと輝いていた。
あきることなく見つめていた、東京駅を中心にした鉄道模型。
朝日が昇り、一番列車が出発する。
東京駅を出てゆく列車もあれば、戻ってくる列車もある。乗客はそこで列車を降りて一息つくけれど、列車は休めないんです。そんなアナウンスがあったような気がする。
夕日が落ちて、徐々に辺りが暗くなって、ジオラマのショータイムは終わる。
もう一度、あのショーを見たい。そう思っていたけれど、残念ながらその願いは叶わなかった。
長男のアルバムをめくってみる。
キラキラと輝く目をしたあの日の写真があった。
銀塩写真であるうえに、今、我が家にはスキャナーがない。
写真をデジカメで写したピンボケな写真だが、思い出にUPしよう。
交通博物館入り口の、壁から突き出した蒸気機関車と0系新幹線。
あのとき、長男のお気に入りは、速い新幹線の方だった。
交通博物館は1936年から70年の歴史に一旦幕を下ろす。
一年後、さいたま市で元気な姿に会いたい。
2006年05月02日
ローカル線の旅 produced by JR東日本・びゅうプラザ

JR東日本のびゅうプラザが出している小冊子がなかなか面白い。
列車に乗ってどこかに行こうと思うとき、必ず立ち寄ってみることにしている。
両毛線を歩きながら見つけたのが「ローカル線の旅」。
JR東日本管内のローカル線、10本にスポットを当てている。
JR東日本の公式サイトはこちら→《JR東日本・えきねっと・ローカル線の旅》
畳んだサイズはA4サイズを縦半分に折った大きさ。
広げるとA4サイズ3枚〜4枚分の大きさになり、路線マップや沿線の見所が紹介されている。
列車の時刻表や散策のためのモデルコースなども載っていて、これ1冊で十分にガイドマップの用を成す。
パック旅行の商品として発行しているJR東日本には申し訳ないが、私はひとつひとつを広げて眺めるだけでわくわくしている。

私が踏破したのは10のうちたったの3つ。
いつかきっと、と残りの7つに思いを馳せる。
2006年01月02日
2005年・列車旅総集編=駅舎編=

最初は列車の姿を見ること、乗る事に喜びを感じていた。しかし、それはいつしか列車を迎える駅舎へも広がって行った。
1段目・左 : 《ふるさと・大雄山線を歩く》(2005年1月2日・伊豆箱根鉄道大雄山線・岩原駅)
1段目・中 : 《あさかぜ旅行記》(2005年2月12日・JR九州・鹿児島本線・門司港駅)
1段目・右 : 《あさかぜ旅行記》(2005年2月12日・瀬戸内海の朝焼け・あさかぜの車中より撮影)
2段目・左 : 《早春の小湊鉄道を行く》(2005年3月20日・小湊鉄道・海士有木駅)
2段目・中 : 《新緑の御殿場線を行く》(2005年4月30日・JR東海・御殿場線・山北駅)
2段目・右 : 《青春の御茶ノ水を歩く》(2005年8月6日・JR東日本・東海道線・東京駅)
3段目・左 : 《日光初秋の旅》(2005年9月19日・JR東日本・日光線・日光駅)
3段目・中 : 《宝の山だよ烏山線》(2005年9月20日・JR東日本・烏山線・烏山駅)
3段目・右 : 《古き良き温泉街、伊東線を行く》(2005年10月2日・JR東日本・伊東線・宇佐美駅)
4段目・左 : 《湯煙の街、草津を訪ねて》(2005年10月15日・JR東日本・吾妻線・川原湯温泉駅)
4段目・中 : 《白いボディーに青いラインを求めて》(2005年11月5日・JR東日本・水戸線・羽黒駅)
4段目・右 : (2005年12月2日・JR東日本・横須賀線・鎌倉駅・仕事で出張の折に携帯にて撮影)
レールの上をひた走る列車には、必ず停車場がある。
停車場にはホームがあり、駅舎がある。
列車はそこでひた走った疲れを癒し、列車から降り立つ乗客もまた、温かく出迎えてくれる駅舎に心を癒される。

2005年12月28日
2005年・列車旅総集編=列車編=

2005年、きままに歩いた列車旅の記録を集めてみた。
1段目・左 : 《ふるさと・大雄山線を歩く》(2005年1月2日・伊豆箱根鉄道大雄山線・岩原−塚原間)
1段目・中 : 《赤い電車で三浦半島へ》(2005年2月5日・京浜急行・三浦海岸駅)
1段目・右 : 《あさかぜ旅行記》(2005年2月11日〜13日・JR西日本・山陽本線・下関駅)
2段目・左 : 《早春の小湊鉄道を行く》(2005年3月20日・小湊鉄道・上総山田−上総三又間)
2段目・中 : 《早春の小湊鉄道を行く》(2005年3月20日・JR東日本・総武線・千葉駅)
2段目・右 : 《新緑の御殿場線を行く》(2005年4月30日・JR東海・御殿場線・山北−谷峨間)
3段目・左 : 《青春の御茶ノ水を歩く》(2005年8月6日・JR東日本・中央快速・御茶ノ水駅)
3段目・中 : 《日光初秋の旅》(2005年9月19日・JR東日本・日光線・下野大沢駅)
3段目・右 : 《宝の山だよ烏山線》(2005年9月20日・JR東日本・烏山線・大金駅)
4段目・左 : 《古き良き温泉街、伊東線を行く》(2005年10月2日・JR東日本・東海道線・熱海駅)
4段目・中 : 《湯煙の街、草津を訪ねて》(2005年10月15日・JR東日本・吾妻線・川原湯温泉駅)
4段目・右 : 《白いボディーに青いラインを求めて》(2005年11月5日・JR東日本・水戸線・羽黒−福原間)
一月に1回のペースで旅に出たことになる。
あさかぜの廃止を惜しんで、はるばる東京−下関を旅した大旅行から、自宅からそう遠くない所への、ほんのちょこっとした旅まで、それぞれに忘れがたい思い出がある。
旅先で出会った忘れがたき列車たち、そして、列車を守る仕事に携わる人たち、夢をありがとう。
